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ベートーヴェン ピアノソナタ4番 

ベートーヴェン作曲 ピアノソナタ4番 作品7

32曲が残されているソナタの中で、26歳の時に作曲されたこの4番は、それまでの3曲と違い、ピアノソナタ1曲を単独で発表した、ベートーヴェンの自信作でもあったようです。
あの長大なソナタ29番、ベートーヴェン自身が「この曲は理解されるまで50年はかかるだろう!」と言ってその通りになった、ハンマークラヴィーアに次ぐ長い曲でもあります。

演奏時間は約30分。全4楽章

ベートーヴェンのソナタにはいくつか、名前の付いた曲がありますが、この4番にも付いています。
「恋する乙女」 「恋人」というのがそれです。この名前からは甘い、ロマンチックな曲と想像されそうですが、実際に聴いてみると、私にはあまりそのようなイメージは沸きません。


リヒテル盤


ドイツ語で Die Verliebte という、まさしく「恋人」という名はベートーヴェン自身がつけたものではなく、この曲が献呈された伯爵令嬢 Babette von Keglevics (バベッテ フォン ケグレヴィッチ)にベートーヴェンが夢中になり、そうした気分の中で作曲されたので、出版後にこの名前が付いた、という事らしいです。
(ちなみに現在でもドイツ人の名称で von が付く人は貴族の出、と教わった事がある)

作曲者はこの曲に「ピアノのための大きなソナタ」という名を与えていますが、この名前は現在ではほとんど呼ばれません。
このような例は他にもあって、あの有名なソナタ「月光」も、ベートーヴェン自身はソナタ13番、14番の両方をセットで「幻想曲風」と名付けていましたが、14番だけ「月光」という名前が与えられて、とても人気となって今に至っています。
前出のハンマークラヴィーアも28番、及び29番の両方に作曲者自身が命名していましたが、現在では規模の大きな29番の方のみの呼称となっています。
出版社が、よりたくさん売るために派手な名前にするというのは、今日のスポーツ新聞の見出しを連想させます。

演奏会で取り上げられることは珍しくはありませんが、メインとしてではなく、例えば連続演奏会の場合だったり、オールベートーヴェンプロといった際に、選曲されているようです。
「熱情」「悲愴」「月光」といった主催者側が喜ぶ、ドル箱曲でない事は確かです。

私がこの曲と初めて出会ったのは、ケンプ(1895年~1991年 ドイツのピアニスト)の演奏でベートーヴェンのソナタ全集LPを揃えている頃でした。

ケンプ盤


4番・9番・10番という非常に地味なカップリングで、曲を聴くためにと言うよりは、むしろ32曲全曲を揃えるというのが重要だったのでしょう、買ったもののほとんど聴きませんでした。
やっぱり有名な、熱情、ワルトシュタイン、月光、といった曲ばかりを好んでいました。

やがて、二十歳を過ぎた頃、偶然友人が所有していたショパンのCDを借りる事になりました。
その頃はショパンが嫌いで、あの甘ったるさがどうしても苦手でした。おまけに、某日本人ピアニストが弾いたショパンのアルバムには、シャム猫を抱いたピアニストの写真がジャケットになっていて、それがショパン嫌いを決定的なものにしていました。
そんなわけで、ほとんどショパンを知らなかったものだから、たまには聴いてみよう、ということで友人から大した期待もせず、そのCDを借りることにしました。
やはり興味がないものというのは、なかなか聴く気になれず、テスト勉強か何かの際に、聞きながらやろうか、という感じでCDをかけました。

ところが、初めの音が出た瞬間から、テスト勉強どころではなくなってしまいました。
これがショパン?、くらいの恐ろしく鋭い響きに、スピーカーの前に釘付けです。
確かに、旋律はショパン特有の憂鬱というかメランコリックというか、独特のメロディーが流れているのですが、全然甘くなく、感傷的にならないのです。
シャム猫も逃げ出すくらいに冷たいというのか、鋭いというのか、それになんといっても、ピアノの音が尋常じゃないほど、透明で濁っていません。
和音が濁ったり、音が潰れたりというのは、上手なピアニストでも珍しくないし、却ってその事が演奏に凄みを与えたりする場合もある位ですが、このピアニストの演奏は何処までもクリアーで冷静でした。
演奏家はA.B.ミケランジェリ。何度もくり返し、CDを聴きました。

当然、他の演奏も聴いてみたくなり、次に手に入れたのが、このベートーヴェン ソナタ4番でした。

ミケランジェリ盤


A面、B面合わせても約35分しかなく、曲も地味だし、今でもそうだと思いますが、この曲を単発で売り出すというのは、まずあり得ないことでしょう。
当時のDGでは、ミケランジェリだけは特別だったようです。
この曲が録音された71年は、彼がDGとの専属契約を結んだ直後で、このベートーヴェン、ショパンリサイタル、そしてドビュッシーの映像、と一気に3種類ものレコードが発売された年でもあります。
そもそも録音の数が非常に少なく、発売されたアルバムはことごとく高い売り上げを示し、コンサートも告知の半分はキャンセル。現存しているのになかなか聴けない、すでに伝説のピアニストだったので、曲がどうのこうのというよりは、新しいアルバムが出るだけでも大事件という状況でした。

このレコードは、この曲に対する概念を一変させた、私にとってはまさに衝撃的なレコードでした。
1楽章の出だしを、誰もが力強く前進するように始めるのが普通ですが、まずそのアプローチからして全く違っています。
全楽章を通していえる事ですが、本当に打鍵のコントロールが素晴しく、加えて音の純度がとっても高い。どんな小さな部分でも曖昧な箇所が見当たりません。
更にペダルも駆使しているのでしょう、フレーズのつなぎ目を、信じられないような処理でもって、ギリギリのところまで、ペダルを残すのですが、音が濁りません。
具体的に挙げていけば限がありませんが、他のピアニストが足元にも及ばないような事をやってのけています。
一体、この発想は何処からくるのだろう。遅めのテンポと相まって、構造が明らかになったり、今まで全く気付かなかった内声が浮かび上がってきたり、この曲には、それはそれはこんなにも沢山のものがつまっていたんだ、と改めて考えさせられます。
繰り返し聴くたびに新たな発見があり、聴き手も相当勉強しないとついて行けないような面もありました。

このレコードを聴いて、終楽章のコーダがこの曲の白眉だと思うようになりましたが、ミケランジェリの演奏は、第1楽章からの長い道程を経て、ようやく到達したある種の境地を彷彿とさせる、余計なものを一切そぎ落とした純粋で単純なものの極み、がそこにありました。



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