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ラモーを讃えて Hommage a Rameau

ミケランジェリの弾くドビュッシー 映像 第1集の第2番「ラモーを讃えて」

今までスタジオ録画のものしか見たことが無かったが、チェリビダッケとのピアノ協奏曲共演の、アンコールに弾かれた映像を見つけた。



会場はミュンヘンのガスタイク、フィルハーモニーホール。
1992年にチリビダッケとラベルのコンチェルトを映像録画する企画があったが、機器の技術的な欠陥により頓挫した、とゴードガーベンの著述にあるが、おそらくその折の映像と思われる。

チェリビダッケがイスに座り、その横で Hommage a Rameau を弾くミケランジェリ。
まるで、チェリビダッケのために弾いているようだ。
翌、1993年にはラストとなるコンサートを迎えるこの希代の巨匠の、最後の姿が映し出されている。


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ミケランジェリの4番

A.B.ミケランジェリ ボン・リサイタル

1971年、グラモフォンから発売されたピアノソナタ4番は、この曲の魅力が極限まで引き出された指折りの演奏だが、遡る事1年前、ドイツ・ボンにおいてベートーヴェン生誕200年を記念して開かれた、ミケランジェリのベートーヴェンチクルスでも同じ曲が取り上げられていた。
海賊版の2枚組みとして以前から入手できたが、いかんせん音が悪く、手持ちのCDは、なんと傷が付いていないのに、音飛びがするという有様で、めったにCDプレーヤーに乗せる事はなかった。
Music&Artレーベルから、ベートーヴェン協奏曲5番「皇帝」とこのボンリサイタルの第4番がカップリングされたアルバムが数年前リリースされた。

海賊盤と同じくモノラルだが、残響が多いがかなり明瞭な音で、こちらの方が格段にいい音となっている。
ホールのちょっと後ろよりの席で聴いているような感じだ。

71年のスタジオ録音とほとんど同じ解釈と言っていいが、こちらの方がより魅力的な演奏となっている。
振幅がより大きく、演奏時間もこちらの方が若干長いようだ。
それにしてもやり直しの効かない演奏会でこれ程の完成度の高さは、全く凄い。

ミケランジェリの演奏は晩年になればなる程、同じ曲の場合、演奏時間が長くなるが、この4番のソナタは74年および81年の演奏の方がテンポが速い。
スピードを上げたというより、曲の解釈を変えたという感じがする。
好みの問題だが、自分はこの頃の演奏解釈の方が気に入っている。

もう一つ、演奏が速くなった例はブラームスのバラード集。
こちらは逆に、後の時期の速い演奏の方が、圧倒的だ。
特に終曲第4番はこの世のものとは思えぬ演奏で、存在する録音の中でも最上級に属するだろう。
ディスク、演奏会を通して、ミケランジェリ以上の演奏を聴いたことがない。

余人の追及を許さぬ孤高のピアニストミケランジェリ。
彼の未発表の音源が、今後も出てくることを期待したい。



ミケランジェリ 最後のコンサート

1993年5月7日 最後のコンサート。

ハンブルクのムジークハレにて、オール・ドビュッシープログラム。

映像第1集・映像第2集

前奏曲第1巻

子供の領分



1.jpg


いずれも彼が良く取り上げた曲だった。

録音は、ホール側で録られたものではなく、聴衆の一人が盗み録りをしたものだった。

最後の記録、ということもあったのか、遺族公認の正規盤として発売された。

盗み撮りされたものだけに、かなりこもった音だが、非常に貴重な、そして本当に最後のコンサート録音となった。



3.jpg

ルガーノ ラッビ にて。




ミケランジェリの室内楽

ミケランジェリの室内楽は、実は一曲だけCDで聴く事が出来る。

モーツァルト ピアノ四重奏曲第2番 KV493

正規盤ではないが、彼の室内楽が聴ける非常に貴重なCDである。
演奏者は次のようになっている。

アルトゥーロ・ベネデッティ=ミケランジェリ(ピアノ)
ジャン=ピエール・ワレス(ヴァイオリン)
クロード=アンリ・ジュベール(ヴィオラ)
フランキー・ダリエル(チェロ)

録音 1972年9月19日

私はカンマームジークは、ほとんど聴かないので、ピアニスト以外は知らない人なのだが。
このCDの面白いのは、スタジオ録りではなくライブ録音で、しかも船の上なのだそうである。
地中海をクルーズする郵便船、ルネッサンス号の船上で催されたコンサートらしい。
さらに当初、バイオリニストのアイザック・スターン等のメンバーと共演の予定だったのが、ピアニストの希望で上記のメンバーに代わったというのだ。
ミケランジェリは、ベルリンでクライバーと「皇帝」の録音をおこなったが、最終的に二人は決裂し、お蔵入りとなった事があるので、上のような話は俄然ありえることだ。

音は、ステレオで録られていて割と良好だが、お客さん(?)の咳や、ページをめくる音(室内楽は楽譜をめくりながら演奏する)、船上のせいか、たまにデッキの方から聞こえてくるような、ゴーッという音まで入っている。それとマスターテープに起因するのか、音像が揺れたりする。それでもミケランジェリの海賊盤の中では、比較的良好な録音だと思う。
演奏については、残念ながら、可もなく不可もなくといったところだろうか。ピアニストらしからぬオーソドックスな演奏となっている。名前を伏せて聴かされたら、ピアノをミケランジェリが弾いているとは判らないと思う。
傷があるとか、下手というのではなくて、彼の特徴である磨き抜かれた美音だとか、トリルや早いパッセージでの完璧な均一性だとか、内声をフワッと浮かび上がらせたり、そう言った彼の特徴があまり聴かれない。淡々と曲が進んで行く感じがするのである。
ミケランジェリとしては、あまり気乗りのしない演奏だったというところか。
それと、弦楽奏者の演奏については良くわからない。



このCDにはもう1曲、モーツァルトのピアノ協奏曲15番 K450 が収められている。

こちらは、録音が1974年4月5日、場所は彼が晩年を過ごしたスイス・ルガーノのアポロ劇場となっている。これもライブ録音。

ピアノ ミケランジェリ
指 揮 エドモンンド・デ・シュトゥッツ
演 奏 チューリッヒ室内管弦楽団

先のピアノ四重奏曲とは打って変わって、とても素晴しい演奏だ。
こんな積極的なミケランジェリは珍しいとも思えるほど。
ミケランジェリの演奏は、時に彼のスタイルを貫徹するあまり、音楽の流れが犠牲になってしまう事があるが、ここでのピアニストは、気分が高揚しているのか、美音やテクニックが冴え渡りながらも、サポートするオーケストラの流れに乗っていて、聴いている方もとても楽しめる。
音も、正規盤としても問題ない位、良く録れている。

好対照な2つの演奏が収められているこのCDは、室内楽としては唯一の存在、協奏曲の方は演奏の質の高さを買って、持っていて損のない面白い一枚である。



ベートーヴェン ピアノソナタ4番 

ベートーヴェン作曲 ピアノソナタ4番 作品7

32曲が残されているソナタの中で、26歳の時に作曲されたこの4番は、それまでの3曲と違い、ピアノソナタ1曲を単独で発表した、ベートーヴェンの自信作でもあったようです。
あの長大なソナタ29番、ベートーヴェン自身が「この曲は理解されるまで50年はかかるだろう!」と言ってその通りになった、ハンマークラヴィーアに次ぐ長い曲でもあります。

演奏時間は約30分。全4楽章

ベートーヴェンのソナタにはいくつか、名前の付いた曲がありますが、この4番にも付いています。
「恋する乙女」 「恋人」というのがそれです。この名前からは甘い、ロマンチックな曲と想像されそうですが、実際に聴いてみると、私にはあまりそのようなイメージは沸きません。


リヒテル盤


ドイツ語で Die Verliebte という、まさしく「恋人」という名はベートーヴェン自身がつけたものではなく、この曲が献呈された伯爵令嬢 Babette von Keglevics (バベッテ フォン ケグレヴィッチ)にベートーヴェンが夢中になり、そうした気分の中で作曲されたので、出版後にこの名前が付いた、という事らしいです。
(ちなみに現在でもドイツ人の名称で von が付く人は貴族の出、と教わった事がある)

作曲者はこの曲に「ピアノのための大きなソナタ」という名を与えていますが、この名前は現在ではほとんど呼ばれません。
このような例は他にもあって、あの有名なソナタ「月光」も、ベートーヴェン自身はソナタ13番、14番の両方をセットで「幻想曲風」と名付けていましたが、14番だけ「月光」という名前が与えられて、とても人気となって今に至っています。
前出のハンマークラヴィーアも28番、及び29番の両方に作曲者自身が命名していましたが、現在では規模の大きな29番の方のみの呼称となっています。
出版社が、よりたくさん売るために派手な名前にするというのは、今日のスポーツ新聞の見出しを連想させます。

演奏会で取り上げられることは珍しくはありませんが、メインとしてではなく、例えば連続演奏会の場合だったり、オールベートーヴェンプロといった際に、選曲されているようです。
「熱情」「悲愴」「月光」といった主催者側が喜ぶ、ドル箱曲でない事は確かです。

私がこの曲と初めて出会ったのは、ケンプ(1895年~1991年 ドイツのピアニスト)の演奏でベートーヴェンのソナタ全集LPを揃えている頃でした。

ケンプ盤


4番・9番・10番という非常に地味なカップリングで、曲を聴くためにと言うよりは、むしろ32曲全曲を揃えるというのが重要だったのでしょう、買ったもののほとんど聴きませんでした。
やっぱり有名な、熱情、ワルトシュタイン、月光、といった曲ばかりを好んでいました。

やがて、二十歳を過ぎた頃、偶然友人が所有していたショパンのCDを借りる事になりました。
その頃はショパンが嫌いで、あの甘ったるさがどうしても苦手でした。おまけに、某日本人ピアニストが弾いたショパンのアルバムには、シャム猫を抱いたピアニストの写真がジャケットになっていて、それがショパン嫌いを決定的なものにしていました。
そんなわけで、ほとんどショパンを知らなかったものだから、たまには聴いてみよう、ということで友人から大した期待もせず、そのCDを借りることにしました。
やはり興味がないものというのは、なかなか聴く気になれず、テスト勉強か何かの際に、聞きながらやろうか、という感じでCDをかけました。

ところが、初めの音が出た瞬間から、テスト勉強どころではなくなってしまいました。
これがショパン?、くらいの恐ろしく鋭い響きに、スピーカーの前に釘付けです。
確かに、旋律はショパン特有の憂鬱というかメランコリックというか、独特のメロディーが流れているのですが、全然甘くなく、感傷的にならないのです。
シャム猫も逃げ出すくらいに冷たいというのか、鋭いというのか、それになんといっても、ピアノの音が尋常じゃないほど、透明で濁っていません。
和音が濁ったり、音が潰れたりというのは、上手なピアニストでも珍しくないし、却ってその事が演奏に凄みを与えたりする場合もある位ですが、このピアニストの演奏は何処までもクリアーで冷静でした。
演奏家はA.B.ミケランジェリ。何度もくり返し、CDを聴きました。

当然、他の演奏も聴いてみたくなり、次に手に入れたのが、このベートーヴェン ソナタ4番でした。

ミケランジェリ盤


A面、B面合わせても約35分しかなく、曲も地味だし、今でもそうだと思いますが、この曲を単発で売り出すというのは、まずあり得ないことでしょう。
当時のDGでは、ミケランジェリだけは特別だったようです。
この曲が録音された71年は、彼がDGとの専属契約を結んだ直後で、このベートーヴェン、ショパンリサイタル、そしてドビュッシーの映像、と一気に3種類ものレコードが発売された年でもあります。
そもそも録音の数が非常に少なく、発売されたアルバムはことごとく高い売り上げを示し、コンサートも告知の半分はキャンセル。現存しているのになかなか聴けない、すでに伝説のピアニストだったので、曲がどうのこうのというよりは、新しいアルバムが出るだけでも大事件という状況でした。

このレコードは、この曲に対する概念を一変させた、私にとってはまさに衝撃的なレコードでした。
1楽章の出だしを、誰もが力強く前進するように始めるのが普通ですが、まずそのアプローチからして全く違っています。
全楽章を通していえる事ですが、本当に打鍵のコントロールが素晴しく、加えて音の純度がとっても高い。どんな小さな部分でも曖昧な箇所が見当たりません。
更にペダルも駆使しているのでしょう、フレーズのつなぎ目を、信じられないような処理でもって、ギリギリのところまで、ペダルを残すのですが、音が濁りません。
具体的に挙げていけば限がありませんが、他のピアニストが足元にも及ばないような事をやってのけています。
一体、この発想は何処からくるのだろう。遅めのテンポと相まって、構造が明らかになったり、今まで全く気付かなかった内声が浮かび上がってきたり、この曲には、それはそれはこんなにも沢山のものがつまっていたんだ、と改めて考えさせられます。
繰り返し聴くたびに新たな発見があり、聴き手も相当勉強しないとついて行けないような面もありました。

このレコードを聴いて、終楽章のコーダがこの曲の白眉だと思うようになりましたが、ミケランジェリの演奏は、第1楽章からの長い道程を経て、ようやく到達したある種の境地を彷彿とさせる、余計なものを一切そぎ落とした純粋で単純なものの極み、がそこにありました。







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